201141
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リスクコミュニケーションの前提議論:津田敏秀・岡山大教授

Ver.2.0 (110321-16:01 Updated 110401-18:25)

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津田敏秀(つだ・としひで)教授

岡山大学大学院 環境学研究科(疫学、環境疫学、臨床疫学等)
 
・放射線や健康被害等について「ただちに影響は無い」という政府発表・報道の表現をどう考えれば良いかということについて、リスクコミュニケーションの観点から、岡山大の津田教授が説明して下さいました。
・下記はリンクの追加など、SMC側で適宜Web向けに編集しています。
 
※なお、津田先生も急ぎ書き上げて下さったため、ご本人の推敲の結果、この稿は後ほど再度編集する可能性もございます。御了承下さい。
 

 

2011年3月19日時点での<放射性物質でがんになる>という話題について

 この話はリスクコミュニケーションの問題ですね。前提(仮定)の議論が非常に重要です。現在、表に出てくる議論がすれ違っているのは、この前提を話していないからだと思います。この前提を書くのは長いんですよね。ちゃんと書けるかどうか分かりませんが、ざっと書いてみます。

 

 科学全般に言えるのですが、科学は現象の観察の世界(実在世界と言いましょう:これらのネーミングは、市川惇信『科学が進化する5つの条件(岩波科学ライブラリー146:2008)』から)と、その現象世界の観察から得られた理論の世界(言語世界と言いましょう)とから成り立っています。放射線被曝とかがんの発生の観察は実在世界です。一方、個別に放射線被曝は測定できませんので、各地点の放射線曝露から推定するしかありません。そのような推定値や被曝とがんの発生の因果関係は言語世界です。原因と結果の因果関係を求めようとして、原因の測定値をx座標に、結果の測定値をy座標にして、i回目の測定値(xi、yi)をx-y座標にプロットします。この時、xとyの関係を求めようとして、しばしば直線を(定規を当てて引いたり、最小二乗法というようなルールに従ったりして)、プロットした座標軸に引きます。その直線関係は、y=a+bxと表せます。この時、それぞれの測定値(xi、yi)は実在世界を表し、直線関係、y=a+bxはもう言語世界です。また、これから避難をする時に目安となる「これからの被曝量を含む被曝レベル」は、明らかに言語世界になります(過去の実在世界に基づいた言語世界です)。

 ところで、言語世界から導かれる理論値を個人のレベルに読み替える時、影響があるかないかで論じてしまうとおおざっぱになりすぎます。従って確率で表現します。個々人の自主判断、あるいは行政が避難勧告をだす際には、それに例などを当てはめて判断してもらう必要があります。最後のところは専門家だけでは出来ません。

 また、自然科学は自然現象(実在世界)の観察から一般法則(言語世界)を導くために、様々な仮定(観察の枠組み)を与えてゆきます。こうしないと科学議論が出来ないのです。仮定の一つである仮説は、科学研究において必要不可欠です。従って、専門家から役に立つ定量的情報を得る際にも、質問する側がどんどん仮定を当てはめて質問する必要があります。そうしないと専門家は答えられないと思います。いろいろと知っているだけに誠意があるほど答えにくくなり、答えたとしても説明に時間がかかります。

 さらに、言語世界から導き出した推定値は、それが実際に観察可能かどうかという問題も出てきます。理論的にこの程度のがんが発生するだろうということと、実際にそのがんの数が発生するかも別ですし、そのがんが我々に観察可能かどうかと言うことも別です。当然、Humeの問題がありますので、因果関係は個別には論じることが出来ず、多人数が曝露してその中で確率的にがんが発生するという論じ方になります。

 以上から、被曝と影響の問題を整理しましょう。今問題になっているのは、放射線曝露(原因)とがんなどの病気(結果)や健康障害との因果関係の問題です。図にすると、以下のようになります。

 

 

 

 結果の方のがんの発生は個別では「発生」か「発生しない」かのどちらかですので多人数を観測して発生確率として表現します。この確率(ゼロから1までの範囲をとる)をリスクと言います(中西準子先生たちのリスク論者のリスクとは定義が違いますので注意)。そして、因果関係による影響は、曝露の違いによるリスクの変化を差か比で表します。直線関係で因果関係を表現しますと、y=a+bxの傾きbが原因の単位変化あたりの因果関係による影響の強さです。被爆は必ずしも個人の健康障害とは結びつきません。

 しかし健康障害が確率的に生じてきて、さらに放射線の場合は、一般に閾値がないという仮定、すなわち被爆によるがんの増加分が原点を通る右肩上がりの直線が仮定されて論じられています。従って、原点を通るということは、直線関係y=a+bxのaがゼロということであり、少しの被爆でも、数は少ないががんは曝露xにより発生するはずということになります。実在世界のデータは、xがある程度大きいところ(従ってyが観察可能なレベル)に主に存在します。従って、xが小さなところでは、閾値がないとして議論を進めていくのです。

 これは放射線の疫学だけでなく、リスクアセスメントでの一般的な方法論です。発がん影響を評価する際には、一般的に閾値を設けません。また、曝露量がそれほど大きくない場合は、大規模人口を観察しないと発生が期待値1をなかなか超えません。そもそも元々曝露が無くてもがんは発生していますので、それに隠れてしまいます。従って、がんの側から見ますと、aはゼロではなくプラスの数です。

 放射線曝露と健康障害は、がんの問題に限ったとしても、膨大なデータがあります。こんなに論文がたくさんある曝露は珍しいです。こんなに膨大なデータがあるのはタバコと肺がんや大気汚染と死亡など限られた話題です。ですからy=a+bxと線を引いて、ICRP2007年勧告のように、切片ゼロ、傾き0.055 /Svみたいな直線も引けるわけです。私は、曝露と健康障害の因果関係が専門ですが、放射線曝露の専門家ではありませんので、放射線曝露と健康障害は多発性骨髄腫とか白血病とか一部しか読んでいません。従いまして、非常に簡単で手軽でいちいち議論をしなくて済むICRP2007年勧告をとりあえず使いましょう。

 何度も繰り返しますが、理論的に発症しうるという問題(言語世界)と実際に発症するという問題(実在世界)を区別して考えないといけません。「少しの放射線でも(自然放射線レベルでも)発症しうる」と言われると嫌な気分がしますが、自然放射線に近い値だと心配するなんて付き合いきれないと思われるのも正しいわけです。実は、現在論じられている放射線被曝による健康障害の問題は、この点で議論がすれ違っているのです。

 とりあえずどんどん仮定を当てはめて議論を進めましょう。李先生が紹介したICRP2007年勧告、がん影響0.055 /Sv(Sv-1)、遺伝的影響では0.002 /Sv、合わせて0.057 /Svの損害リスク係数を、曝露人口に掛け合わせて、例えば近藤先生はこれに100万人をかけて、100で割って(10mSv÷1Sv=100)、約500人(厳密には550人)というがんの数字を出しておられるわけです。従いまして、100万人が10mSvに被曝したと仮定して自分がその中に入っているとして、問題は自分がこの550人の側に入るか、99万9450人の側に入るかです。前者の側に入ると思える人は少ないでしょう。でも誰かが入るのでしょう(ただし全て仮定上の話です)。

 一方、日本では年間約35万人はがんで死亡しています。ここで35万人ががんで死に日本の人口を1億2000万人とすると、100万人中2917人ががんで死亡していることになります。上記の550人は被曝してからの累積死亡数ですので、がんによる死亡期間の幅を約30年としますと、一年あたり18人になります。従いまして、一年間に2917人対18人になり、これは18人が2917人に埋もれてしまい実際観察できそうにありません。だから「がんによる死亡の増加はなかった」と言われそうですが、厳密に言うと「がんによる死亡の増加は観察できなかった」となるのです。10mSvのレベルでさえ国が言う「ただちに健康障害を生じるようなことはない」という言い方もできるかもしれません。

 しかし、きちんとしている人にはこのごまかしは許せない人もいるでしょうし、こういう言い方もいいんじゃないと言う人もいるでしょう。ただ、タバコを吸っている人はこのレベルを心配するよりタバコを止めた方がずっと発がん確率を下げることが期待できます。このあたりは中西先生の本などを見てもらっても分かるでしょう。能動喫煙だけでなく、避難所での受動喫煙も重大な問題ですので、避難所の分煙や禁煙状況も監視する必要があります。

 

 上記の試算も外部か内部か、放射性物質の化学的性状、臓器別に異なってくるわけです。それよりも私は、電卓で計算した上記の自分の計算間違いを心配しています。そういうわけで、ICRP2007年勧告、がん影響0.055 /Sv(Sv-1)、遺伝的影響では0.002 /Sv、合わせて0.057 /Svの損害リスク係数を、自分の推定被曝量に当てはめれば、誰にでも電卓があれば、これからのがん発症確率や遺伝的影響確率を計算できます。

 その計算結果は、少しでも被曝していればゼロでないはずです。「こんなのまだまだ心配ないし逃げるのも大変だから居続けます」とするか「これ以上はイヤだから逃げる」というのは個人に任せる手もあります。そもそも仕事や学校の都合、収入の多少、ADL状態、介護の有無等々、各家庭や個人の事情はバラバラです。動ける人と動けない人まちまちです。「不安の大きさ」も違うでしょう。それを行政が一括して「ただちに影響がない」というふうにまとめてしまうところに(実はまとめてしまうと、こういう言い方にどうしてもなってしまうのですが)、意見の食い違いというより、聞く側に不満が蓄積する理由があります。「原発は絶対に安全です」と電力会社だけでなく国などの行政が言っていたわけですから、風評被害と片付けずにわかに信じてもらえないことも考慮すべきでしょう。しかし行政はみんなを相手にしているのですから、こう言うしか言いようがないとも言えます。

 従って、各人電卓で計算してもらって自分で判断してもらうのが一番良いのではないかと思います。そのためには、自分が住む地区ではどの程度の放射線量がこれまであったのか(累積放射線量:時間毎の放射線量の積分)を、示してもらうべきでしょう。地理情報システムGISの専門家に頼めば分かりやすい色分け地図にしてくれます。できれば、原子力工学関係者に対しては、今までの放射線量に比べてこれから何倍くらいの放射線量の増加が見込めるのかを誰かが質問してほしいですね。得られた回答の平均値を採用すればいいと思います(もちろん平均値を代表値とするのに明らかな問題があるとすれば、別の代表値を採用することを考えます)。

 

 電離放射線という曝露による人体への影響は、身体の個々の細胞の染色体(遺伝子)への物理的障害(切断等々)による比較的単純なものと考えられます。これから考えられるのは、被曝量は少なければ少ないのに超したことないということです。原点を通る直線が仮定されているという意味でも同じ事が言えます。とは言え、桁違いの少ないレベルを心配しても仕方がない(心配する必要もない)というのも事実です(そういう意味では対数で考えるという手もあります)。もう浴びてしまうと諦めるしか仕方ない一方、だからこそ被曝したくないというのも人情です。いくら人体や遺伝子に、修復や発がん抑制などの防御機能があるからといって、医療というメリットを受けるわけでもなくそれが仕事でもない人は、被曝量は少ない方が良いでしょう。パニックの引き金になるのを恐れて「大丈夫」と言い続けるとかえって信用されません。被曝しない選択肢を選べる人に対して、そちらの方を選択するのを妨げる権利は誰にもないでしょう。

 

【関連リンク 「放射線による内部被ばくについて:津田敏秀・岡山大教授」

 

【以下は2011年4月1日の津田先生による追記です】

「目安となるレベル」に関する言及による誤解の可能性と、目安の必要性について

 

 医療用放射線の1回分(例えば、CT1回分の放射線など)を現在の放射線レベルと比較する以外に、例えば、どこやらで「そもそも100mSv/年以下の発がんリスクは疫学調査では確認されておらず、直線で下ろしていったもので、『あるとしたら』というレベルの話だ」というような発言もあったそうです。

 この発言の内容自体はこれで構わないのですが、それによる誤解が生じる点を念押しの意味も兼ねて書いておきます。

 上記の発言の「あるとしたら」のレベルあたりを図として、「①実際に観察値がないレベル」として示しておきます。これに対して「②実際に観察値があるレベル」も示しておきます。疫学調査が行われていない、あるいは疫学調査によりがんの過剰発生が検出されていないことと、「本当に」がんが過剰には発生しないかどうかとは別です。比較的低い被曝レベルの影響が検出されるためには実際の観察対象人口が大幅に増加しますので、観察不可能なことが多いのです。従ってここで上記のような言い方をしてしまうと、まるでそれ以下のレベルが大丈夫であるかのように誤解されます。つまり閾値など実際は設定されずに議論されているのに、閾値があるかのような印象を与えてしまいます。

 しかし、実際に②で示した部分の観察データがある以上、①の部分での観察値がないからといって、その被曝量レベルの発がんリスクがないかのように取り扱うには無理があることは大方の合意が得られるでしょう。つまり、そのようなことをしてしまうことは、②の部分において実際に観察データがある被曝量レベルでがんの過剰発生がなかったのと同じ取り扱いになってしまっているからです。これは②の部分のデータを捨てるのと同じで、納得できるヒトは少ないでしょう。ただ、閾値があるのか閾値がないのかは意見が分かれるところで、放射線の場合(他の曝露でも発がん影響の場合はだいたい)は閾値がないとされるのです。

 

 その一方で、何らかの目安を与えることはしばしば必要になることがあります。例えば、大気汚染は放射能汚染と同様に曝露がない方が良いのですが、都会に住む以上避けられません。そこで、大気汚染基準が定められています。そしてその基準を目安に各自治体で努力が続けられています。

 逆に、労働基準法では時間外労働は原則的には認められてこなかったため、長年、時間外労働の目安は示されてきませんでした。しかし、その結果、時間外労働をすれば野放しという状態が生じ、ご存じのように月100時間を超える労働時間の後に、身体や精神に変調を来し死亡する労働者が発生してきました(いわゆる過労死です)。

 そこで月45時間の時間外労働という目安が現在は設定されて(月80時間以上になると産業医が面接をします)、これ以下に留める努力が現在各企業で行われています。この努力はインターネットでも知ることが出来ますので、働く皆さんは全員ご確認ください。

 ただ、現在の状況は、放射性物質の放出が今後も当分続くであろうと考えられています。従いまして、現在の状況で現在の被爆レベルで、避難の目安ならともかく、安全か否かを議論する目安を与えることよりも、少々面倒でも、ご自分の地域の曝露状態から電卓を叩いておよそのリスクの上昇を把握していただき、各自の事情を考慮して各自でご判断いただくのが一番丁寧かと思います。

 

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